宗派 | 天台宗 総本山 比叡山延暦寺 |
山号 | 大上山 藥王院 觀音寺 |
本尊 | 十一面観世音菩薩(座像1尺5寸) 脇立 四天王 |
開基 | 乘海法印 |
縁起 | 往昔は東勝寺と称し、寺跡である東勝庵境内から延文元年(1356)北朝時代の石板碑が発見されていることから、鎌倉時代後期に開山されたと推定されている。その後、永禄12年(1569)に武田軍勢が滝山城攻撃の際、焼失した。 寺伝によると、慶長8年(1603)3月源朝臣家康公が東国下向の際、寺院再興の苦辛を遙かに聞き、廣滎(当山再興第2世)を馬前に召され、観世音の霊験著しき等を以て悲願成就せしむべき仰せられ助成を蒙るに至る。而して寺院を現今の地に移し、寺号を改め觀音寺と名づけた。 銀山奉行であった大久保石見守長安は、八王子滞在の砌、手代の秋山神右衛門に家康公の内意を達せられ、慶長10年(1605)10月18日に仏殿荘厳落成したと棟札に明記されたとある。 その後、慶長18年(1613)丑10月に野火により過去の文書記録も含め焼失したが、本尊は災難を免れた。 記録によると、貞享4年(1687)に再建された本堂8間6間、庫裡4間半10間、客殿8間6間半であった。 |